モネです。今日もXMT_from_TYO !! です。 暑さ本番!! 7月が涼しかったから厳しい日が続きますね。まぁ。いつもの夏よりは短いから少し楽くかもね。
さて、今日も前回に引き続き映画の話題です。トム・フォード監督の「ノクターナル・アニマルズ」。現在の舞台であるLA、過去の舞台であるNY、そして小説内の舞台であるTexasといった3つの時間軸で描かれたスリラー系サスペンスドラマです。最初から物語にグイグイと引き込まれること間違いなし!
そもそも、監督トム・フォードって誰?!
トム・フォードって聞いたことないですか? そうなんです、ファッションデザイナーなんですよ、あの“メガネ”が大ブレイクした。
もともとグッチのクリエイティブ・ディレクターとして活躍。そして、自身のブランドではアパレルのほか、バッグや靴、そしてメガネなどを展開するファッション界の有名人。ちなみにメガネはマルコリンがライセンスを受けて製造販売を行っている。映画では「シングルマン」にて監督、脚本を担い注目された二刀流。
強烈すぎる前衛アート?!のオープニング
オープニングは小錦のような巨大な全裸のおばちゃん二人がジュリアナばりに腰を振って踊っているところから始まる。これはスーザンによる前衛アート?の展示。
「ノクターナル・アニマルズ」予告編 動画
制作年:2016年
制作国:アメリカ
時 間:116分
原 題:Nocturnal Animals
配 給:ビターズ・エンド、パルコ
あらすじ 現在のLAにてゴージャスな生活に甘んじるスーザン
イケメンの夫と豪邸に住み、アートギャラリーのオーナーとして何不自由なく生活をしているスーザン。ちなみに“何不自由ない生活”を英語では“an easy life”というらしいです。
でも現実は夫の浮気や、もともと芸術家を志していながらもギャラリーオーナーに落ち着いてしまったためか、なにかもの足りない感じもあった。
そんなスーザンの元に20年前に離婚した元夫のエドワードから郵便物が届く。それは彼が書いた「ノクターナル・アニマルズ」“夜の野獣たち”と名付けられた小説の原稿だった。
小説はスーザンに捧げられたもので、中身は暴力的で衝撃的な内容であり、スーザンは愕然としながらも、引き込まれるように読み入っていく。
小説の展開 テキサスの荒涼とした大地にて家族を失うトニー
夜、ハイウェイを走行していたトニーと妻と娘の3人は、レイという男とその仲間に因縁をつけられ襲われる。そしてなすすべもなく家族を拉致されたトニーは夜通し砂漠を歩き、ようやくたどり着いた民家で電話を借りて警察へ通報。警部補のボビーとともに家族を探す。
その後、野外に放置された真っ赤なソファーの上で妻と娘が発見されるものの、すでに遺体となっていた。その後の調査で死因が特定し、レイプの形跡も確認された。
小説の主人公トニーにエドワードを重ねるスーザン
トニーとエドワードの二人を演じるのはジェイク・ギレンホール。エドワードの小説を読むスーザンは二人を重ね合わせていることが以下の点から伺える。
エドワードが送ってきた小説の原稿に添えられた手紙には“君がいた頃の小説とは違う”とも書かれているにもかかわらず、回想シーンで“あなたの小説は自分のことばかり・・”とスーザンのセリフがあるので、スーザンがトニーとエドワードの二人を重ねて考えるのは自身に刷り込まれた過去の経験からだろう。
母親に“エドワードは軟弱”と言われた時には“繊細”と反論したスーザンだが、トニーを捨て、すっかり豪邸住まいに落ち着いた彼女はどこかでエドワードを見下している。なにもできないトニーはスーザンにとってエドワードと同一であると認識できる。
小説の主人公トニーは、実はスーザンの投影
スーザンからすると、トニーはエドワードを表していると疑いもなく思っているようだが、実はトニーはスーザンの投影。
エドワードがモーテルでバスタブ入るシーンに対し、自宅のバスタブに入るスーザン。パソコンをいじるエドワード、macをいじるスーザン、シャワーのシーンなど二人が重なっていることを暗示するための射影である。
何よりもトニーが不安を覚える時には、きまってスーザンも心配を隠しきれない表情となる。
スーザンは物語に引き込まれ、自分ではコントロールできない大きな不安が襲う。それが、娘に電話するシーンであり、トニーと同じ立場に立たされていることを示唆しているのではないか。
クライマックス、小説の結末
警部補のボビーが別件逮捕した犯人がレイプ犯の一人であることを断定。そこから主犯格のレイにたどり着く。しかしレイは敏腕弁護士により証拠不十分で釈放される。
ボビーは余命わずかであることをトニーに打ち明け、自身の信念でレイを拘束し自宅に連れて行く。そこにレイの共犯者を連行するが、尋問している時にボビーの体調が悪化、その隙を狙い犯人二人はボビーの自宅から逃げるものの、一人はボビーにより射殺。その後、ボビーの拳銃でトニーはレイを射殺する。
舞台はLA レストランでの待ち合わせをするラストシーン
スーザンは小説を読み終えたのち、エドワードの連絡を受けレストランで会う約束をする。
きっと、エドワードはそこにスーザンがやってくることに確信を持っていたのだろう。ここから先は俺なりの考察というか想像したこと。
エドワードは自分が現れなくてもスーザンが最後まで帰らずひとりぼっちでいることも予想できたのだろう。それは小説のエンディングで戦いに挑むトニーの姿にある。
レイを捕逃がすものの、トニーが追い込んでいく姿を見せたからスーザンは必ずやってくるとエドワードは自信を持っていたのだろう。
要するに小説のクライマックスを読んでいれば、自分自身をトニーに投影しているので、必ずスーザンは自信をもち背中を押されることだろうと考えたのではないか。
エドワードはなぜスーザンをひとりぼっちにしたのか
スーザンをひとりぼっちにした理由。それは母親のことをブルジョワ、両親を“ガチガチの保守派、人種差別者・・”と揶揄していたスーザン。かつてエドワードが出会った頃は行動的で輝いていた。でも、結婚後状況は一変。自分で道を切り開くことなく、結局、スーザン本人が非難していた母親と同じような人生を辿ったこと。そして、豪邸でゴージャスな生活をしながらも、不自由のない生活にすら、ぼんやりとした不満を持っている。
結局自分では何もできなくなったスーザンに対し小説を読み終え一人きりになることで、ちっぽけな人間であることを痛感させたかったのだろう。
きっと自分自身の失敗を時間をかけて感じ取って欲しかったってところではないだろうか。
エドワードがスーザンに伝えたかったこと
回想シーンでエドワードは“形あるものはなくなる。でも文字にしておけば永遠に残る”とのセリフがある。
おそらくスーザンがどんな人間であるかを記録しスーザン本人に渡すことが目的だったんのだろう。
確かに人によっては復讐という言葉を使う人もいるけれど、“スーザンの選択は一体何だったのか”を本人にわかるように理解させたいとエドワードは思ったんじゃないか?
エドワードにとって現在のスーザンが哀れに見えたからこそ伝えたいと思ったんだよね、かつての輝きや自信が失せたスーザンが嫌だったんだろうな、きっと。
まぁ、だから仮にスーザンがレストランに訪れなければどうなっただろう。もしかしたらスーザンが自身の過ちに気づき今更ではあるが後悔していると受け止めたんじゃないかな。だとしたらスーザンに対し何らか別のアプローチを試みたのではないかなぁ?なんて考えたりする。
「ノクターナル・アニマルズ」の結び
・オープニングのスーザンが手がけた圧巻のアート
・現在と過去そして小説の世界を精細に考えられた脚本
・サスペンス性が強く、刺激的な展開は胸が震える
とにかくよくできた映画です。ぜひ観てみてください。モネの“「ノクターナル・アニマルズ」映画レビュー 卓越したストーリー、ネタバレ衝撃のラスト!!” fm_TYO_w/_luv !! でした。
「ノクターナル・アニマルズ」作品概要
監 督:トム・フォード
脚 本:トム・フォード
出演者:エイミー・アダムス
ジェイク・ギレンホール
アーロン・テイラー=ジョンソン
カール・グルスマン
ロバート・アラマヨ