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モスクワにソビエト崩壊を見た

ヒロシです、今日もXMT_from_TYO !! です。

暑い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。昨日バッタり、ってわけでもないが、ランチした際の話からソビエトについて書きたいと思います。ちなみに“おまえこのごろどうしている”とは聞かれていません。なんたって、初顔合わせだったんで!でもね、駅から離れりゃバッタくらい見れると思うよ。

昨日は朝から日差しが凄かったですね。午後は一転雨が降ったりと、清々しさは感じられなかったけど、そんな中、ちょっとした集まりで、みんなでランチしました。
そこで、かなり突発的だけど、ソビエト連邦(USSR)崩壊の話題が出ました。実は俺、ちょうどロシアへの変わり目にモスクワに行ったことがあるのですが、そんな話をしたら興味深く話を聞いていただいちゃったのでブログで書いてみようかなと思いました。

さらに話は続きますが、昨晩、会った友人からもソビエトの話が出て、盛り上がっちゃったので、まぁ、備忘録的な意味合いも込めて、当時について書いてみようかと思います。ちょっと長いですが、特に中盤以降、ネタ的には結構楽しめると思いますので、ぜひ最後まで読んでください。

そもそもソビエトってなに?

国名:ソビエト社会主義共和国連邦
建国:1922年 亡国:1991年

レーニンて聞いたことあるでしょ。あの人が起こした革命でロシア帝国が倒れ、ソビエト連邦建国。これが、世界初の社会主義国だったんだよね。その後、スターリンが登場。さらなる弾圧や、ソビエト大飢饉。いわゆるウクライナのホロドモールなどなど、いろいろある。これ説明し始めると、長いし今回の趣旨と違うので、まぁ、また機会があったらとします。ちなみに、この人もアシュケナージ系ユダヤ人。この件もロシア問題では重要なんだが、また今度。

なんでモスクワに行ったのか?

別にソビエトに興味があったわけではないのだが、トランジットの関係でモスクワを経由することとなったんだよね。

当時、既に俺は会社員。外資金融機関にいたんだけど、外資といえば自由な社風みたいなイメージもあるかもしれないが、実態は日本企業と変わらない。当時、時代感覚的に夏休みを取るというのは、結構大変だった。とはいえ、夏休みは5日間付与される。ちなみに先輩たちは人によるが、休みの日も仕事をしている。そんな中、当時の大蔵省からの通達を受け総務部長よりで、“各部署内で協力し、有給休暇も合わせて取得しろ”みたいなfaxが流れ、社員全員に通知されていたんだ。まぁ、大蔵省や総務部長の通達なんで、ありがたく休ませていただくことにした。支社長は激怒したけどね。

背景はさておき、本題だけど、もともと俺としては、アルジェリアに行きたかったのだが、ちょうど、テロの関係で渡航自粛になっていた。そこで検討したのがチュニジアだった。そもそも中東に興味があり、初めての海外旅行はトルコだったし、次も中東に行きたいと思っていた。

ただ、会社員となると期間的に無理と思っていたから、中東に行くなんて思いつかなかった。そこにfax。営業成績は良かったし、2ヶ月先まで、結構な契約が入ることはわかっていたし、大蔵省も後押し?してくれているなら行っちゃおうと思ったんだよね。

行き先は、こんな感じで決めたんだけど、肝心のモスクワが出てこない。キーワード、モスクワは経由地。成田発、ロンドン行、バックパッカーからも悪名高き、アエロフロートで向かったのだ。

崩壊しているだけあって、結構凄かった

まずは成田でチェックイン。ここは日本だから特に問題なし。いざボーディング。座席に着いたら、いきなり問題が起きた。座ってみたら、なっ何か冷たい、濡れている。俺は漏らしていない。っていうか、だったら、ほんのり温かいだろう。原因は荷物棚、いわゆるbinってやつ。banではない。そこに設置されているエアコンの吹き出し口から冷たい水が垂れていた。

当時の“スチュワーデス”つまり客室乗務員に言ったら、アエロフロート的には、現在のビジネスクラスみたいな席に変更してくれた。エコノミーとの違いは、座席間が30cmくらい広く足元がゆったり。その他は変わらない。でも、かなり快適。

成田テイクオフ後の出来事

とりあえず、普通に墜落することなく離陸できた。次は食事。掻い摘んで話すと、当時、バックパッカーの常識ではあったが、アエロフロートで出された機内食は食べない方がいいと言われていた。成田発でもヤバいと言われていた。俺は食べてもよさそうなグラタンみたいなやつは食べたが、その他のものは手をつけなかった。パンは大丈夫かと思っていたが、試したところライ麦でもないのに変な匂いがするし、口にすると、めっちゃ酸味が強い。サラダ、デザートもやばそうだったんで、俺はビールとワイン小瓶2本を確保し、持参の柿の種を食べていた。

食後しばらくすると、案の定みんなトイレに並んでいる。1人2人ではない。どこのトイレも10人単にで並んでいる。確かに、当時はインターネットなんてものはなく、情報は「地球の歩き方」だけ。今から考えれば、情報は乏しいのかもしれないが、とはいえ、バックパックしたいなら、なぜ、事前に情報を得てから計画しないのか理解できない。その程度の準備でアエロフロートを利用する気になることが意味不明である。

そのほかに問題はなかったが、ひとつエピソードとしては、パイロットは空軍あがりであること。これは、もしかしたら良いことに転じるのかもしれない。何が気になったかというと、天候が荒れていても関係ないこと。旅客機をコントロールできる能力があるということは、すなわち、とんでもない飛行をしてくれる。

俺の常識では、天候が荒れると問題なさそうな空域や高度へ移動するものと思っていたのだが、アエロフロートのパイロットは空軍で培った能力からか、天候不良でも気にせず、我が道を行く。なので当たり前に、テーブルのコーヒーなんかこぼれるし、上から荷物が落ちてくる。すなわちbinが開くわけだ。今なら訴えられるね!とにかく日本の常識とは大きく状況が違った。

モスクワにてトランジット

モスクワに無事到着。着陸は無事だが、また。。何がびっくりしたって、国際空港だというのに、免税店を除く全ての場所で、照明がひとつも灯っていない。これ、俺が大袈裟に言っているのではなく、ひとつも照明が点灯されていないんだよね。しかも、全てのエスカレーターについて、ステップが完全に外されて、2階に上がることができない。これって凄くないですか。崩壊真っ只中とはいえ、国際空港なんだよ。

その後、世界ワーストワン国際空港の称号を毎年獲得している、ニノイアキノ国際空港 ターミナル1の経験することになる。まぁ、ここはここで大変だったんだけど、でもやっぱり当時のモスクワのインパクトは高かったな。

モスクワのトランジットホテルの前に食事

確かにチケットは格安。トルコの時みたいに南回りじゃないから負担も小さい。でもさぁ、いくらなんでも、これはないなと思っていたら、さらに追い討ちをかけるように、個人的な体験をさせていただくことになったんだよね。

まずは、トランジットホテルに移動する前に、ミールクーポンを渡された。ミールクーポンとは、空港内で、一定の時間以上の乗り継ぎがある人に対し、レストランやカフェなどで飲食ができるよう準備された無料のお食事券。

俺はトイレに駆け込みたくなかったので、機内食は、ほどほどにしていたので、ここで食事するかとカフェに行ったら驚愕の事実が突きつけられた。

提供された、飲み物や食事について、もしかしたら中身は問題はないのかもしれないが、なんと、飲み物はガラスのコップに入っているのだが、グラスの表面や内面が白くて内側がわからない。しかも縁の部分は口紅がいっぱいついている。食事は提供されたものの、皿にはソースとか、よくわからないものが付着。とりあえず蠢いてはいないのだが、とにかく臭い。しばらくテーブルウェアは洗っていないということのようだ。無料と言ってしまえば、それまでなんだけど。。当たり前だが口にしない。うまいコーヒーが飲みたかったが、免税店でカールスバーグをゲット!

トランジットホテルでの出来事

なんか、ネタ集めの旅みたいになってしまったが、ここでネタ集めは、まだまだ終わらない。むしろここからが本番!払った分だけ、惜しみなく異次元体験させてくれる。それが、アエロフロートのおもてなしである。

次はトランジットホテル。折り込み済みで、言ってしまえばジャブみたいなもんだが、トイレに便座は存在しない。あたりまえだが、蓋もない。これは当時の東欧諸国全般に言えること。もちろんトイレットペーパーもない。ただ、本来ならトイレットペーパーがなくても、使用済みトイレットペーパーを入れるための入れ物くらいあるのだが、それもなかった。国によってはトイレットペーパーを流せるようだが、当時のモスクワがどうだったのか俺は知らない。

部屋に入って、1時間もしないうちに、“コンコン”とノックの音が。。これも聞いていた話で、物売りが登場。1人目がウォッカ、2人目がコーラ、そして、俺が待ちに待ち望んだ、3人目「1,500円払ったら市内観光」!!!!!!!!

これはまさに期待していたこと。外貨獲得のため、入国許可不要でツアーに参加できるオプション。どう考えてもイリーガル。噂レベルではあったが、やっぱり、やっていたんだ!チャンスは掴むもの。なのでもちろん、即参加。

入国記録なし、「魅惑のモスクワ市内観光」へ

トランジットホテルから一般的な観光バスで、いざモスクワ観光へ。高速道路をモスクワ中心に向けてひた走る。時間的に15〜16時くらい?日没が20時くらいだったはずなので、まだ帰宅時間でもないのだが、渋滞にはまる。よく見ると、路肩に自動車が止まっているのだが、その列は目に見える範囲、長く続いている。ガイドの話からすると、ガス欠で止まっている車らしい。しかも、これ数台の話じゃないんだよね。おそらく断続的ではあるが2〜3kmあったんだよね。さらに。ガソリンスタンドに並ぶ車が、100台はないにしても、それに近い数が並んでいるから、二重駐車状態。そりゃ、渋滞するよな。

どこに行ったのか?! 肝心のモスクワ観光

そんなこんなで、やっと着いたのが、いわゆる、お土産屋。ソウル観光とかと同じだね。さすがに民主化したとはいえ、ほぼほぼ社会主義国家だから、売る気は全くなし。そもそも、マトリョーシカと無駄に作られた箱入りチョコレート、質の悪い絵葉書くらいしかなかったけどね。

その後は、なんとなんとKGB!モード的には興奮状態なんだが、記録的には入国していないわけだからバスから眺めるだけ。敷地にすら入ることはできない。当時は少々残念な気持ちもあったけど、確か10年くらい前だったかな、KGB前の地下鉄駅付近で爆破テロが起きたことがあるのだが、そのニュース見てたら、まさに、俺が行ったところがテレビに映っていた。ん〜時間はずいぶん経ったが、自慢話がひとつできた!なんたって入国記録ないしね。この綱渡感は満足感高い。自慢話にゃちょうどいい!

そして、最後に寄ったのが、赤の広場。ここではバスから降りて30〜40分散策することができた。これは、結構満足度高かったな。兵隊の交代とかも見れたしね。

まぁ、こんな感じで、半日1,500円を満喫しました。

そして、チュニジア首都チュニスへ

アエロフロートに乗り込み、チュニスへ4時間の旅。天候にも恵まれ、いい感じの飛行で快適。持参した本を読みながらチュニスに思いを馳せていると、なんか視界の左横が気になった。窓の外にチラつくものがあったからだ。気になったんで窓の外を見たら、なんと隣に旅客機が飛んでいる。窓の位置で全長20mm?もしかしたら30mmくらい?に見えた。これ、まじ、あり得ない。同じ高度で飛行機が飛んでいるなんて考えられない。しかも、これ、かなりやばい近距離。何もなかったからこそ、こうやってネタになるけど、ほんとびっくりしたな。ちなみに、帰国後、1年くらいしてからNHKの番組で、ソビエト崩壊後、旅客機の管制はコンピュータ制御できず、なんと黒板で座標対応していたとの放送がされていた。映像を見ると、1m四方くらいの方眼タイプの黒板に、管制官が旅客機からの無線を受け、チョークで × をつけている。これで納得。2次元だったのか。。

まぁ、生きててよかった。ただそれだけ。じゃなくて、最大のネタ収穫!

入国記録なし、アエロフロート「魅惑のモスクワ観光」結び

ダラダラと書いてしまったが、今思い出すと結構ネタ的には面白い。しかも目的地までの移動手段の話だけでも、色々あって笑える。当然といえば当然だが、帰りも同じルート。なので、窓の外に飛行機は飛んでいるし、市内観光に行くことができたし、ミールクーポンは行使しないし、コーヒーはこぼれるし、みんなトイレに並んでいるし。。まぁ、往復の工程だけで考えたら、これほどの体験はないかも。

それと、正確に覚えていないが、渡航は1991年9月の出来事だったのではないかと思われる。記憶は定かではないが、ソビエト崩壊→ロシアへという変わり目に偶然にも関わらず、目の当たりにできたことは、いい経験になったと思う。

最後になるが、チュニジアに行った理由について。アルジェリアに空路で入れなかったことで、チュニジアを選んだのだが、理由は以下の通り。

・中東に興味がある(トルコでハマった!)
・サハラ砂漠を歩きたい(歩いた!農家の子供がロバ車で楽しませてくれた!その際カメラの三脚を落とした(T ^ T))
・南に行けばブラックアフリカも体験(もちろん行った!)

ちなみに、当時、フセイン支持だったためか、チュニスのアラファトさん宅が襲撃され、ちょっとした厳戒態勢。なんだけど渡航自粛にならなかったんでチャンスとばかりにチュニジアにしたんだよね。

それに、対岸はイタリア。ツーリストもイタリアやフランスが多いため、ちゃんとしたホテルに行けば、最高のコーヒーが飲める。食事も中東、アフリカに地中海テイストが加わったチュニジア料理を堪能できる。チュニジア料理については、かつてブログで触れたことがあるので、よかったら、こちらも読んでね。

ちなみに、行きのアエロフロートで出会った日本人の2/3くらいは、陸路でアルジェを目指すと言っていた。たくましい!俺もいつか陸路で中東の各国を旅したいと思っていたが、当時会社員、だから無理。これが限界。

まぁ、9月の祝日、会社から与えられた5日の夏休み、ついでに有給を使って渡航。当時の会社員としては、あり得ない行動を取り、旅をすることができ、とても満足。

ということで、土曜日ランチでの話から、ちょっと広げてモスクワの話を書いてみました。もし、興味のある方は声をかけてください。モスクワでもチュニジアでも。ちなみに、その他の渡航記録や俺が何で構成されているかは、portraitをご覧ください。

以上です、ヒロシの“モスクワにソビエト崩壊を見た”fm_TYO_w_luv !! でした。

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